2日前の夜。
寝る前に2時間ほど祈りをしていたら、心の奥底から神様の御声のような響きがありました。
それは次のような御声です。
あなたには、あなたの計画があるように
私にも、私の計画がある。
私の計画を信じて、私について来てくれるか?
そこで、私は、“はい、わかりました。自分の計画を捨て、主に従います!”と答えました。
毎日毎日、自分の計画を下ろして下ろして、人間的・肉体的な自分の思いや考えなども捨てるようにしていても、いつも間にか、自分の中には、また人間的な思いや考えが上がってきて、自分の肉体的な計画が席をとっています。
そこで、私は再び心を改めて、自我を捨て、自分の計画を下ろし、“主のご計画を信じ、従います”と答えていました。
神様のご計画が何かは分かりません。
ただ、
確かなことは、神様には何かのご計画があるとのことです。
でも、これは私だけへの声かけ(calling)ではないと思います。神様は今も、みんなに同じく声をかけているのです。
ただ、私たちが神様のことをよく分からないため、またはみ声を聞こうとしないため、その声を聞くことができないわけなんです。
ところで、何をもって、自分と自分の計画を捨てるまでして神様のご計画を信じ、神様に従うことができるのでしょうか。
そこまで神様を信じ切れる根拠はどこにあるのでしょうか。
その第一の根拠が、聖書です。
聖書で示している神様の働き、聖書で教えている神様のことを学び、認め、受け入れ、信じることができれば、
まだ、不透明ばかりの神様のご計画を信じ、従うことができるのです。
第二は、これまで神様からいただいた恵みと愛です。
その経験があるから。
今まで神様を経験してきたたくさんの証しがあるからこそ、神様を信頼して、全く先が見えない不透明ばかりの神様のご計画に、人生をかけて命をかけて従うことができるのです。
それが信仰です。