キリスト教が他の宗教と違うもっともの大きなポイントは、【救い】について明確に示されている点です。
キリスト教の強調するさまざまな教えの中で、一番大事なのが、まさに【救い】ということに疑う余地はないのですが、
キリスト教で教えている【救い】は、人間のいかなる善なる行いによるのではなく、神様が一方的に定められた、たった一つの方法によるものだと、伝えています。
それは、ご自身神ながら人間の姿をして世に現れた、罪のない神の独り子イェスキリストが、私たちの代わりに、私たちの罪を背負い、十字架にかかり死なれたことによって、私たちの罪を償ってくださったこと、
その事実を認め、イエスキリストを自分の救い主として受け入れ、信じれば救われる、ということです。
本来なら、神様から離れ、罪の中で生きている私たちが、その罪によって死ぬべきだったのですが、神様は私たちをあまりにも愛されているゆえに、そのまま死なせるわけにはいかず、私たちの代わりに罪を解決し、償ってくれる存在が必要だったのです。
そのため、罪なきイエスキリストを償い者としてこの世に送り、十字架で死なせる(処罰)ことによって、私たちの罪を解決し、償ってくだったのです。
それが、神様の救いの御計画であり、私たちを愛される神様のみ心、み恵みと言えるのです。
ここでは、そのような【信仰による救い】を教えている御言葉をまとめてみました。
私たちを救おうとされている神様の望みとその愛が伝わることを願い、祈ります^^
(聖書は全て著作権フリーの口語訳を使っています)
彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
ヨハネによる福音書 1:12
あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
エペソ人への手紙 1:13
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。
ローマ人への手紙 1:16-17
なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである。
律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
ローマ人への手紙 3:20
わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
ローマ人への手紙 3:28
働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。
ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている。
「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、 さいわいである。 罪を主に認められない人は、さいわいである」。
ローマ人への手紙 4:4-8
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
ローマ人への手紙 5:8-11
すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
ローマ人への手紙 10:9-10
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。
ローマ人への手紙 10:13
わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。
この聖霊は、わたしたちの救主イエス・キリストをとおして、わたしたちの上に豊かに注がれた。これは、わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。
テトスへの手紙 3:5-7
人の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。
それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
ガラテヤ人への手紙 2:16
神はわたしたちを救い、聖なる招きをもって召して下さったのであるが、それは、わたしたちのわざによるのではなく、神ご自身の計画に基き、また、永遠の昔にキリスト・イエスにあってわたしたちに賜わっていた恵み、 そして今や、わたしたちの救主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた恵みによるのである。キリストは死を滅ぼし、福音によっていのちと不死とを明らかに示されたのである。
テモテへの第二の手紙 1:9-10
それでは、どうなのか。律法の下にではなく、恵みの下にあるからといって、わたしたちは罪を犯すべきであろうか。断じてそうではない。あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである。
しかし、神は感謝すべきかな。あなたがたは罪の僕であったが、伝えられた教の基準に心から服従して、 罪から解放され、義の僕となった。
わたしは人間的な言い方をするが、それは、あなたがたの肉の弱さのゆえである。あなたがたは、かつて自分の肢体を汚れと不法との僕としてささげて不法に陥ったように、今や自分の肢体を義の僕としてささげて、きよくならねばならない。
ローマ人への手紙 6:15-19
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
ヨハネの第一の手紙 2:15
神様は、全ての人が救われることを願っている。
父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。
ヨハネによる福音書 6:37
神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
テモテへの第一の手紙 2:4
かように罪人を迷いの道から引きもどす人は、そのたましいを死から救い出し、かつ、多くの罪をおおうものであることを、知るべきである。
ヤコブの手紙 5:20
主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。
テモテへの第二の手紙 4:18