イエス様の処方箋.. [Message]

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「イエス様の処方箋」マルコ3:1~6

櫛田 猛 担任牧師

 この短いお話しの中に、私たちの信仰を励ます神様の恵みがあります。今日はイエス様に従う事について分かち合いたいと思います。ではまず1~2節をもう一度読みましょう。

①マルコ3:1~2
イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。

 みんながイエス様と片手が悪い人に注目していた。でも優しい気持ちで見ていた訳じゃない。イエス様が違反をするかどうか、すごく意地悪な目で注目していたのだと思います。
人は意地悪な心で人を見てしまう事がある。人が病気になれば、ざまぁみろ。罰が当たった。人が苦労していれば、自業自得。無関心。自分が幸せじゃないと思っている時はそうなりやすいですね。でもイエス様は違う。安息日の決まりを破ろうが殺されることになろうが、この人が健やかになる事だけを願っている。では前回も読んだ個所を読みましょう。

②申命記5:33
あなたたちの神、主が命じられた道をひたすら歩みなさい。そうすれば、あなたたちは命と幸いを得、あなたたちが得る土地に長く生きることができる。

 親は子供の幸せだけを願います。神様の願いは私たちの幸せだとそう信じていい。その割には辛い事が多いじゃないかと思います。時には逞しく生きるように厳しくされます。でもそれすらも幸せのために必要だと信じていい。神様は私たちに意地悪はしない。悪いようにはしないのです。
聖書も私たちが命と幸せを得るために与えられている神様からの処方箋だと分かるのです。

 処方箋をもらったら従う事が大切です。これは当たり前ですね。 僕の病気の処方箋は厳しいです。一日4000歩のウォーキング。お風呂は40度以下の温度で10分以内。首までつかってはダメ。食事の塩分は一日6グラムまで。トイレでいきんではダメ。ラーメンは一年に一回だけ。しかもタンメン。汁は飲んではダメ。自転車に乗るなら3キロ以内。坂道はダメ。立ちこぎはダメ。決まりが多くて病気になりそうです。でもこれも僕の命のための処方箋なのです。だから従わなくちゃならない。同じようにイエス様は私たちの永遠の命のための処方箋を下さっている。やっぱり従う事が大切なのです。

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イエス様の処方箋は難しくない。

誰でも出来る簡単な事です。今日の個所ではイエス様の処方箋は2つ。一つは「真ん中に立ちなさい」。もう一つは「手を伸ばしなさい」です。真ん中に立つ。これはとても嫌な事だったと思います。病気や障害は罪の結果だと思われていました。みんなから蔑まれます。だからみんなの真ん中に立つ事はとても怖い事だった。手を伸ばす。それが出来なくて苦しんでいる。出来ないとあきらめていたことです。この人にとって手を伸ばす事はとても怖い事だったと思います。他の人には何てことはないことです。でもこの人にとっては、とてつもなく難しくて辛い事だったのです。それでもこの人はいろいろな思いを乗り越えてイエス様に従った。そして奇跡を体験しました。

 イエス様の処方箋は短くて簡単です。でも従うのが難しい。ある人には簡単でも自分には難しい事がある。ある人にとって赦す事は難しくないのに、自分には一生不可能に思える事がある。こんな簡単な事なのに出来ないという事がある。
 それには理由があります。一つはプライドです。旧約聖書にナアマンという将軍が出て来ます。病気でした。それで預言者に治してもらおうとしたら、その処方箋が「そこの川に七回浸りなさい」。ナアマン将軍はプライドを傷付けられて馬鹿にするなと怒ったという記事があります。
 もう一つの理由は罪です。人間は神様に従いたくないんです。正しいと分かっていても従いたくない。それがアダムから引き継いでいるクセです。クリスチャンはそれで苦しむ。パウロも苦しんだのです。ではローマ7:15~19を読みましょう。

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③ローマ7:18~19
わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている。

 従いたいと思っている。なのに従えない。それは弱さではないようです。意思が強くても出来ないのです。それが原罪の力なのかも知れません。
 私たちはそういう一クセがある。幸せから遠ざかってしまうようなクセがある。素直になれないクセがある。人の悪い所ばかり見てしまうクセがある。すぐ投げやりになってしまうクセ。すぐ人を裁いてしまうクセ。そういうやっかいなクセがあるものです。

 僕はどうしようもないクセが2つありました。必要以上に自分を責めるクセ。だから同じように他人も責めていた。そして悩んでも仕方ない事をずっと悩むクセです。悩む事自体がかっこいいと思っていた節があります。そのクセは健康にも幸せにもならなかったです。周りの人を幸せにもしなかった。なのにそれが自分らしい生き方だと思っていたのです。
 神様はそのクセを治してくれようとしています。それはちょっと大変です。でも少しずつ楽になっています。やはり神様は私たちの命と幸せを第一に考えて下さる方です。

では、ここでⅡテモテ3:15~17を読みましょう。

④Ⅱテモテ3:15~17
 この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。

 神様はみことばに従う事で私たちのマイナスのクセをプラスのクセに活かして下さる。傷ついた心を癒して下さる。本当の自分に戻る事が出来る。クセを治すというのは最初は大変です。でもそれが私たちの命と幸せのためになる。聖書は永遠の命のための処方箋だと信じていい。だからもし聖書を読んで何か示されたら実行してみましょう。その事を通して信仰を学びましょう。主を信頼して従順を求めて行きましょう。 (櫛田 猛 担任牧師)

 

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日立キリストの教会 2018年5月20日 礼拝メッセージ

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